津屋崎ブランチ出会えた人~井上進也さん~

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井上 進也さん

五感で感じる場所

「主張を強くするわけでもないのに、しっかりした存在感がある人」私が井上さんと初めて会った時に得た印象でした。
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井上進也さん

津屋崎を知る
 井上さんは、現在九州工業大学大学院の修士課程の2年生で、景観研究室に所属しています。井上さんが学部4年生の時、津屋崎干潟で行われているカブトガニの生態調査を通した干潟保全活動の記録をするメンバーを研究室で募集しており、それに手を挙げたことから津屋崎との関わりが始まりました。活動を記録する中で、井上さんはその活動自体を卒業論文にまとめることを決め、「津屋崎干潟におけるカブトガニ保全活動の経緯と課題」という題名の論文を書き上げました。

塩田に惹かれ
 「100年以上前に建てられたレンガ造りの“塩倉庫”」(※1)
新聞に掲載されていた記事と写真が井上さんの心をギュッとつかみました。調査を行っていた場所の近くにあるということやノスタルジーな趣がそうさせたのかもしれないと当時を振り返ります。直感に従い、井上さんは町史などで塩田のことを直ぐに調べ始めました。時を同じくして、調査の際にお世話になっていた「つやざき海辺の自然学校」(※2)の活動報告発表会があり、井上さんは塩田について発表できる時間が欲しいと申し出ます。5分くらいの短い時間でしたが、聞いていた市民の方から「もっと調べて欲しい」という声が上がり、大評判に終わりました。主体的に取り組んだことに対する市民の反応は心に染み入り、「この町のためになることをしたい」という思いに駆られます。それから、塩田の調査を重ね、最終的に修士論文という形でまとめられるようになりました。井上さんは、今まで光が当たらなかった塩田や“塩倉庫”に着目し、その価値を入念な調査を通して見事に高めました。津屋崎では、「塩田のことは井上さんに!」ということが浸透しており、彼の役割がこの町にしっかりとあります。

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津屋崎にある“塩倉庫”

津屋崎で暮らす
 昨年の夏休みを利用し、井上さんは実際に津屋崎で生活をすることを思い付きます。実家と津屋崎との間を行き来するだけでは見えないものがあるのではという好奇心からの試みでした。3ヶ月間自然学校が借りている一軒家を間借りして暮らし、その期間は、塩作り、調査のためのヒアリング、散歩・・・という時間を過ごしました。風の音、虫の鳴き声、夕陽・・都会での生活の中にもあったであろう自然の世界を彼はこの地で初めて感じ、五感の存在に気付きます。井上さんは、海岸でのんびりと時間を過ごすことを好み、その日の気分で行く海岸を決めていました。例えば、疲れている時は勝浦海岸。「人が少なく、海岸から広がる景色の中に人工物が少ないからかな」と井上さん。
 津屋崎を離れてからも、ここで得た感覚を失うことなく、都会にもある自然やその変化を感じながら井上さんは暮らしています。現在は、修士論文の仕上げの真っ只中で、津屋崎に関わった3年間を形にしようと励んでいます。

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井上さんが暮らしていた家



※1:江戸時代に大杜元七氏の貢献もあって、津屋崎で塩作りが始まり、「津屋崎は塩でもつ」といわれる程盛んでした。明治38年、政府が日露戦争の軍費調達などのため塩の専売制をしき、その時に塩務局が各地に庁舎や倉庫を建てました。津屋崎に残る”塩倉庫”は庁舎に付属する文書庫でした。同44年津屋崎の塩田が廃止になるまで使用されており、現在も保存されています。塩を保管していた木造の塩倉庫が周辺に存在していたという説があり、その倉庫との区別をするため、“塩倉庫”と表記しています。

※2:つやざき海辺の自然学校とは、カブトガニ調査に代表される野生生物の環境保全活動および、自然をベースにした環境学習活動(シーカヤック・スノーケリング・生き物観察など)を実施している団体です。


(取材:都郷)





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桑野 由美さん

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山口 真紀さん

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谷川 市代さん

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井上 進也さん 

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松本 貴司さん

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中村 洋基さん一家

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マックティアー トラビスさん

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松尾 由希恵さん

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新ノ居 操さん

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児玉 麻紀さん